皆さまの声(症例集)
臨床報告
赤ひげ堂で治療を行った患者さんの生の声です。
不妊症の症例集はこちら |
(1) ガン細胞が消えた喜び(K・Mさん 女性)
六月一日の婦人科検診の結果は予想を反して、私に思わず驚きの声を上げさせるものでした。五段階評価のうち、悪い方から二番目…。精査の指示には、「異型細胞が多数見られるので再検査の必要有り」とあり、すぐさま頭をよぎったのは「ガンかも知れない」という不安でした。
その三日後、M病院へ行き、二週にわたり検査した結果はまぎれもない「子宮頚ガン」でした。「まだ0期で転移もしていないし、進行性ではないのですが、子宮を全摘出しましょう」と言われ、その場で二・三質問しましたが、入院・手術の日取りまで決まりました。
早々に赤ひげ堂の先生に結果を報告しなくては、と思い連絡を入れました。そして翌日赤ひげ堂を訪れた私に、「Mさん、子宮頚ガン消滅プロジェクトチームをつくって、手術をしないでガンを消滅させましょう」と、先生は半分おどけたような大袈裟な言い方で私を安心させてくださいました。以前から赤ひげ堂の先生には「ガンは手術をしなくても治るんですよ」と伺っていましたのです。
赤ひげ堂の先生には、病院の言うとおりに手術を勧める家族を説得していただきました。ただ「ガンの診断は、一ヶ所の病院だけではなく、二ヶ所・三ヶ所で診てもらった方が良い」と聞いていたので、築地のガンセンターにも受診にいきました。
七月十日のことです。「ガンはありません…?」という期待を込めて検査を受けたのでした。それも赤ひげ堂でまだ本格的な治療を始めてからわずか二週間足らずのことでした。「もう少し経ってから受けた方が良かったなー」と半信半疑の気持ちをもちながら…ガン治療には笑いがいい、とも聞いていましたので、家族や友達ともよく笑っていました。友達には「私ガンなの、でも手術しないで治すんだ」と何人に言ったことでしょうか。
この間、腸内洗浄(浣腸)を真剣に実行してきました。そして結果は「ガンではありません」ということでした。一時耳をうたがいましたが何ともいえない安心というか喜びに満たされました。またM病院では手術を予定していた日にMRIによる検査を受け、更にガン細胞がないことを確認しました。赤ひげ堂での治療は一回にかなりの時間を要します。二時間待って三分治療ではないのです。
その時間に先生といろいろな、からだのこと、食事のこと、ガンはなぜできるかといったこと全てについてお話ができます。治療のことは勿論、世間話まで。「私の受けた指導は、まず腸の酸性腐敗便を排泄する為のコーヒー浣腸(腸内洗浄)と特別なサプリメント(栄養補助食品)の摂取でした。今年に入ってからすでに何人もの方が子宮の全摘を進められながら、手術なしでそれも1カ月以内に治ってしまったという話を聞いておりました。そんなことが信頼感を生み、「ここで治してもらえる」という安心感を得たのだと思います。
赤ひげ堂に出会えたことが今では私の大きな財産となりました。ありがとうございました。
(2) 手術寸前の腰痛が治った!(M・Oさん 女性)
突然襲った激しい腰痛の原因は、レントゲン検査の結果、変形した第四腰椎にあると判りました。13ミリもずれた腰椎の写真を目にした時は驚きと不安が交錯し、更に医師から手術を勧められた時にはとても平常心ではいられなくなりました。
そもそも腰に痛みを感じるようになったのは今から16年も前、次男の出産直後です。妊娠・出産に伴なう体重の増加や、年齢的にもある程度の腰痛は仕方の無い事と半ば諦めて、市販の湿布薬や腰サポーターで痛みを凌いだものです。その後腰痛は良くなったり悪くなったりを繰り返し、数年前からカイロプラクティックや整体院の御世話にもなっておりました。
ところが昨年夏頃から、それまでの腰痛に加え、左半身全体がしびれる様になったのです。そのしびれは途切れる事は無く、うっとうしくてなりませんでした。整形外科を受診しようか、もう少し様子をみようか、と憂鬱な日々を過ごすうち、さらに今までとは違った激しい痛みに襲われました。それは一瞬、背骨を突き抜けるような痛みでした。突然襲った激しい痛みに耐えられず、11月下旬に初めて整形外科を受診することになったのです。それがまさか手術とは…
ある日、心配した友人から「赤ひげ堂」を紹介されました。私の迷いを察してくれた友人は、やや強い口調で「騙されたと思って、赤ひげ堂に行ってきて!」と言い、案内を送ってくれました。気弱になっている時、心配してくれる家族や友人に恵まれる幸せをしみじみ感じました。
初めて経験した赤ひげ堂での気功診断では、何も聞かずに悪い所や抱えている心の問題までいいあてられ、私の生き方までも見抜かれてしまうようで、かなりの衝撃を受けました。「心臓のドッキン・ドッキンも、びっくりして真っ白になってる頭の中も、全部知られちゃったのかしら?…」何をされるのかと思うと怖くて「もう、いいです!」と叫んで逃げ出したくもなりました。緊張しっぱなしの私に「大丈夫、治ります。治して見せます。」と笑顔で対応して下さる先生を信頼し「治る、治る」と自分に言い聞かせました。
八王子から代々木まで、中央線の車内で前の席が空いていても、腰の痛みで座ることができなかった往路。それがわずか一回の治療で、座り・居眠りまでできた復路。その夜、夫や息子達に「赤ひげ堂」での体験の一部始終を一気に(かなり、興奮気味で)話しました。3,4回の治療で私の腰痛は殆ど消えました。大好きな高尾山にも出かけられるようになり、友人と水泳を楽しめるようにもなりました。
現在、初回の気功診断で指摘された内臓の諸問題を改善すべく、コーヒー浣腸と食事療法に取り組んでいます。体重は減ってくるし、体調はすこぶる良好!驚くなかれ、複数の大学病院の耳鼻科で長年治療を受けても治らなかった耳鳴り・静脈瘤による皮下出血が、いつの間にかすっかり消えているのです。更に嬉しいことに、腸内洗浄のおかげで肌もきれいになりました。
「赤ひげ堂」に通い始めて3ヶ月、まさに驚きの連続です。当初私の回復振りを疑問視していた夫が「赤ひげ堂」に通うようになり、友人夫婦も何組か通われています。耐え難く辛い腰痛でしたが、その治療を通して出会えた「赤ひげ堂」。真の健康的な生き方を目指し、家族や友人と喜びを分かち合いたいと思います。又、感動的で不思議な体験をより多くの方にお伝えしたい、とも思います。
スタッフの先生方、お礼を申し上げます。どうぞ今後とも宜しくお願いします。
(3) 食事に気をつけてアトピーを治す!(H・Hさん 女性)
私にとって何をどのようにどれくらい食べたら、体にどのように影響するのかということを、食事療法とコーヒー浣腸を通して学ぶことができました。それは何年もの間、アトピーによって苦しんできた私の、祈るような気持ちに終止符を打つ大きな出来事、つまり学びだったといえます。
私は何年もアトピーが治らず、季節によってはお尻から背中が他にもまして、とても痒くなってしまうことがよくありました。自分なりに食べ物には気をつけていたつもりでした。肉や乳製品は控えていたのですが、ある日突然、顔中にアトピーが出てしまい、痒みが収まらなくなってしまったのです。思い起こしてもそれらしい原因も思いつかず、皮膚科でもらっていた塗り薬も効かず「このまま一生治らないのではないか」と不安だったことを覚えています。
そんな中、友人の紹介で赤ひげ堂の先生に見てもらったら、「腸の毒素(宿便)が原因なので、腸内洗浄と食事療法を二週間やってください」と言われました。そうすれば短期間によくなりますからといわれ、さっそくワラをもつかむ思いで実行したのを覚えています。そして先生から言われた、これまでに知らなかった食事の内容の指導なども・・・。
すると、四日目くらいになって、赤みがうそのようにひいて痒みがすっかり収まったのです。(赤ひげ注:老化色素が原因しています)ふつふつとして、心の晴れることのなかった気分がうそのように明るくなり、食物に対する考えが大きく変わってきたのです。体の調子も良く、時間だからと無理に食事を口にすることもしなくなりました。アトピーは今では完全に出ていません。
いかに正しい食事が大切かを気づくことができて、とても幸運だったと思っております。
(4) 『肝臓の末期癌』 あと一ヶ月半の命と宣告される
(S・Sさん 男性)
●この方は、キャスターの逸見さんが亡くなった赤坂の前田病院に入院していました。
●二〇〇三年九月、末期癌であと一ヶ月半の命との宣告を受けました。一度目の往診の時、腹水によるお腹のあまりの腫れ上がりに、私も正直びっくりしたものです。声はかすれ、癌特有の痛み、そして吐き気、聞けば肝臓癌の末期で、肺と腸へ転移との事でした。
●一回目はわずか一時間ほどの治療ではありましたが、背中の痛み、腹部の苦痛がすっかり楽になってきたとの事でした。さらに、体の経絡の気を整えてあげると、その日のうちに尿閉が改善され、尿が気持ちよく出たとの知らせが家族から入りました。発熱による体のだるさも二回目の往診治療で落ち着き、熱も下がり始めました。病院では手の施しようがないとの事なので、自宅療養を説得の結果、往診から三日目で退院を決意されました。
●十月一日より早々に赤ひげ堂への通院が始まりました。癌の方は一日三回の浣腸(腸内洗浄)を行ってもらいます。その他厳格な食事の内容を提示します。腸内細菌を増やす為のサプリメントの摂取など、いくつかの注意点を守っていく事によって確かな効果を必ず出すことができます。 二週間で消えた腹水
●やさしい娘さん達の暖かい介護に助けられ、週三回の治療で二週間目にはすでに呼吸困難を来していたほどの腹水を取り除くことができました。小柄である方なのに、胴まわり1メートル以上の、まさに臨月を迎えた妊婦のようであったお腹が、胴まわり70p以下にまでへこんで、私の方が二度びっくりの状況でありました。三週間目には、肝臓から肺への転移でかすれて出にくかった声が普通に話しができるようになり、四週間目には食事内容も変わり、今度は体重が3sも増えてきました。家族の皆様も喜びのせいか食べさせ過ぎに私が注意するほどでした。急激に太ることは、肝臓の腫れにつながるからです。一日三回の浣腸が血圧を上げる!
●Sさんは、一日三回のコーヒー浣腸の実施を欠かさないで実行されました。必要なサプリメントの摂取、当初往診時に説明した、一日百笑いの実行もしてもらいました。聞けば毎日沖縄の踊りを踊ったり、大きな笑い声が絶えなかったそうです。
●御二人の娘さん家族の献身なお父さん介護のおかげで、退院後四週間目に前田病院にて再検査の結果、見事肝癌が縮小し始めたとの事で、家族が奇跡だと言って大喜びでありました。十一月十五日、あと一ヶ月半との宣告を受けてからちょうど二ヶ月後、本人の希望もあり、宮古島に無事帰宅することができました。
『癌は恐れることのないものです。しかしあなどってはいけません。そして何よりも家族の暖かい助力があって初めて健康になることができるのです。そして治る治らないを決めるのはまた本人なのです。私共の指導を受け入れて頂ければ癌はもちろん、膠原病などもなんなく治ってしまうのです。私は今回もただ本人の自然治癒力のお手伝いをさせて頂いたにすぎないのです。』
癌などの予防についての過ごし方は、交感神経を緊張させないのんびりした笑いの多い生活を心がける必要があります。笑いのない緊張の多い日常生活は癌を再発させることになるので注意が必要です。食事やコーヒー浣腸で気を付けていけば再発は防げます
(5) 『低血圧による腕の痛み』(F・I さん 女性)
「私はこの何日か両腕の肩の外側が異様な力が入らないようで腕が動きにくくなってきた。年で筋肉が落ちたんでしょうね。」というので、私はその方を見るなり、「違いますよ、一時的な低血圧状態が引き起こしたものだからすぐに治りますよ」と言って血圧を早々に測ってみたのです。
やはり上が105の下が60ほどでした。少し低いですねと言うと、「私は普段は低くても130か140はあるんです。」と言うのです。私がこれは、胃に負担をかけて小腸の働きが落ちたからです、といった説明をすると、「そういえば両腕がおかしいと思った一週間前に少し食べ過ぎて、次の朝、急に下痢を催したんです。そんなことはなかったのにどうしたのか、その下痢が2、3日続いていたんです。」と気にしていたのです。
「それは胃の働きと小腸に負担がかかったんですよ。」と言って、私は交感神経の緊張を緩め、血圧を上げる治療を施した後に、両下肢の太ももの付け根(消化器のツボ)に鍼をしたのです。するとどうでしょう・・・「あ・・・先生、痛みもなく腕がスースー上がります。ああよかった。」と笑って帰られました。
★このような身体に引き起こされる症状の多くは、慢性の低血圧の方はもちろん一過性の低血圧が生じた時に起きてしまうものなのです。
(6) 『大腸末期癌からの挑戦』(カーレーサー S・Yさん 男性)
復活優勝までの半年間、過酷なカーレースに生きる男性が精神的苦痛の中で大腸癌を患ってしまったのです。大学病院で開腹手術を受けたが、手の施しようがなくそのまま閉じてしまうという状況の中での、新たな挑戦・・・。
あと一ヶ月の命との宣告を受けた中での意識は、それでもなお来期にかけるラリーへの想いから、歩行もままならない苦しい状況をわずか半年で復活し、見事優勝を勝ち取ったのです。そして今期もまたランキング二位という見事な優勝戦線に残る活躍を見せたのです。これら奇跡のカムバックの裏には両親の深い愛情の中で培われた大和魂が根付いていたと思われます。
Y選手はまた、昨年『クラッシュ』という映画が渋谷の映画館で放映されましたが、その炎上し燃え上がる今にも爆発するかもしれない車の中から意識のないカーレーサーであるOさんを救い出すという勇気ある行動を取った方でもあります。その場面はテレビのニュース等でも再々取り上げられており、おそらくテレビ、あるいは映画を御覧になった方ならその勇姿が記憶に残られているかもしれません。
『Yさんの場合も、私共の指導を素直にそのまま実行して頂いた模範的な患者さんでした。昨年も癌の定期検診に行かれましたが異常なしとのこと、今もなおカーレーサーとして現役で活躍されています。赤ひげ堂ではYさんの優勝のパネルを写真入りで待合室に飾っています』
(7) 30万人に1人の健康人と絶賛(M・Sさん 男性)
健康維持のために毎週見えるこの方は、赤ひげ堂の最も古くからの患者さんのお一人です。26年間もの間、週に一度の治療を欠かさずに、また77歳の現在も今なお現役、かつ多くの東京都の役職をこなされておいでです。
スポーツジムで汗を流したり、ゴルフや囲碁をされ、常に心身を健康に保ち、自分を高めていこうという気概を持ったSさんこそが今なお青春を生きる情熱家であり、その様な情熱こそが血液をきれいにし、病気はもちろん花粉症など無縁にしている源のようです。
このSさんが先月、久しぶりに健康診断を受けたところ、担当の医師から驚きの結果を聞かされたというのです。その内容とは、「Sさんの年齢でこの検査数値はありえない!まるで20代の検査数値を見ているようだ」というのです。そしてこのような健康体は30万人に1人です、とまで言われたそうです。しかもその医師は検尿に際しては「もしや他の人の検尿とすりかえているのでは?」と思い、トイレの前まで着いてきたというから驚きです。血圧も124/75mmHgと健康そのもので、医師が20代のようだというのにもうなずけます。
こんなお元気なSさんに、健康の秘訣を聞いてみると、「朝は早起きして、毎朝近所の清掃をします。心身の健康の為には欠かせません。そして運動。スポーツジムで汗を流し、その後は疲れがたまらないように、週に一度は必ず赤ひげ堂に行くこと、そしてサプリメントとして紅景天をのむ事です。」と、答えてくださいました。
Sさんのように特に病気がなくても毎週いらしているような方は、体についての関心度が他の方々と異なるようです。Sさんは長年会社を経営していて、その働き方は私の感じるところ今でも人の3倍くらい。その立場と責任の重さから、健康を損なうことの恐さ・つまらなさを良く知っていらっしゃる人生の成功者と言えると思います。健康的にも健常であることがまさに、医者に20代と勘違いさせるほどの健康な体を保つことになったのです。
高齢化社会の到来とともに、クオリティ・オブ・ライフ(生活の質)が重視されています。このSさんのように、多くの皆さんが高齢を迎えても健康的で、はつらつとした青年のような毎日をおくりたいものですね。
(8) この春、私に奇跡が起きた!!(S・Yさん 女性)
そもそも私が「赤ひげ堂」にお世話になった理由は、1年前、夏風邪をこじらせ体調を崩してから1ヶ月も咳が止まらず、まるで体に鉛がぶら下がっているかの様な重さと全身の関節痛の苦痛から開放されたいという思いからでした…。
又、長年ストレス性胃炎で(過去2回胃潰瘍)胃薬が離せないという状態であったこと、さらに26年間付き合わされている自律神経失調症による体の不調があったこと…。出産時子宮の神経を痛め、それが原因で重い物を持ったり、ある一定時間立っていると下半身の異常な冷えとしびれ、そして子宮脱の状態と膀胱炎の併発で苦しんでいたこと…!!
このままでは何時か倒れるかも知れないという不安…しかしこれまでの経験から、また病院へ足を運ぼうという気は起きませんでした。なぜなら女性が体の不調を訴えると、病名がつけられない病気に対し、どこの病院でも必ず「自律神経失調症」とだけ診断され、ただ沢山の薬が出され、納得のいく治療は望めないことを知っていたから…。
そうこうしている時、主人の勧めで「赤ひげ堂」に駆け込んだのです。院長先生はひと目見るなり「このままでは体の気が滞っているために、成人病のオンパレードになってしまいます…」と診断しました。そして「心配ないですよ。治療をすればすぐに良くなるし心身面でも自信が取り戻せますよ。」と励まして下さったことを覚えております。
早速、腸内洗浄・食事の指導・サプリメントなどを踏まえながら、最初は週に2回の治療が必要との事でした。2・3回目の治療だったでしょうか、なかなか治らなかった咳き込みが解消され、体調も良い方向に向かっていることを実感できたのです。3ヶ月が過ぎた頃、体調はすっかりよくなり、驚くなかれ、お腹の脂肪がスッキリ取れてしまい、6ヶ月後には6キロ減量したのです。これだけでなく、美容効果も現れ、顔のシミ・くすみが薄くなり、透明感と光沢さえ感じられる様にもなっていたのです。出産する27年前の体型にもどってしまったのには本当に驚きでした…。
治療前は、13号の洋服も今では9号になり、好きだったジーパンもはける様になりました。友達からは「Yさん、この頃スリムになってすっかり若返った」などと言われ、うれしくなりました。女性は幾つになっても(今現在は64才ですが)「美しくなりたい。」願望が失せない事を再確認しました。
そして、この春を迎えてさらに信じられない事が起きたのです。それは毎年2月の下旬頃から鼻炎がひどくなり、桜が散るまで苦しむのが、25年間の私のパターンでした。確かにこの所、慢性鼻炎もなく改善されてきたと思っていた所、まさか花粉症まで完治しているとは思っていませんでした。てっきり、今年も来るだろうとビクビクしながら3月を迎え、街にはマスク姿が目に付いても、その中の1人でない自分がいたのです。ピークを過ぎた今でも発症しないのです。あれ程、慢性鼻炎と花粉症に悩まされ耳鼻科は元より、良いと言われる事を全て実行してきてそれでも何ら変化がなくすっかり諦め切っていただけに、これは奇跡としか考えられない思いです。改めて「赤ひげ堂」の治療と、ご指導の素晴らしさを実感し、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
思えば院長先生を始めスタッフの先生、お一人お一人が病める人々のために、いつも笑顔で熱心に対応して下さっている。その姿に頭の下がる思いです…。そして、自分でもあきれる程、この凝り固まった体がまさに雪解けをうながす春の暖かい陽ざしを受けたようにとけきった体を感じております。今では子宮や膀胱の不調・関節の痛みもすっかりよくなり、胃薬も全然必要とせず、全て癒えて、元気に動きまわれるまでになりました。これまで、西洋・東洋医学を問わず、さまざまな治療を体験して来た私が「赤ひげ堂」程の結果が出たことが、かつてなかったという実感と喜びでいっぱいです。まさに60兆の細胞が入れ替わったのだと思っております。
これからも健康持続のために、定期的に通院して、今後の人生をアクティブに過ごせたら幸せだろうなと願っております。
(9) 長年の花粉症を改善(S・Nさん 女性)
「私はもともと、手術後の体力向上、体質改善のために知人から紹介され通い始めました。毎年のことですが、1 年のほとんどを花粉症とともにすごしてきました。この花粉症には13年前から苦しめられ、とくにこの5年間は、アレルギー体質の改善のために月に1度の筋肉注射をしなければ、とても普通には過ごせないという状態でした」とおっしゃるNさんが赤ひげ堂に通い始めたのは、1年のうち最も花粉症の軽いとおっしゃる今年の1月でしたが、それでも鼻の中はムズムズが取れないので気分がすっきりと晴れることがなく、いつも何か不安ですと心配されていました。
花粉症も立派な異常体質の現れです。確かに近年は環境的にも花粉症は激しくなってきているといわれていますが、本当に健康な人には見られません。花粉症になるからには、「体のほうに何らかの原因が必ずあるということ」と、「年数には関係なく花粉症は治るということ」、具体的には食事の改善・腸内洗浄などによる宿便の排泄、血液の改善が必要であると説明しました。
食事に関しては、白砂糖が入ったお菓子類や動物性蛋白質を避け、食物繊維や酵素を多く含んだ果物と野菜中心としました。これは砂糖や動物性蛋白質が腸内で腐敗することによって生じるアレルゲンとなる有毒ガスの発生を防ぎ、食物繊維を多くとることによって善玉腸内細菌を増やすためです。またコーヒーを用いた腸内洗浄には、宿便を取り除き、胆汁の分泌をうながし肝臓の解毒作用を高める効果があります。その他にも、炎症反応を抑える働きのあるリノレン酸という脂肪分を補うために、魚や亜麻仁油を食事に加えたり、腸内の異常発酵を防ぐための酵素ジュースを毎日飲んでいただくようにしてもらいました。
通常の治療に加えて、このような食生活の改善を始めて2ヶ月がたった頃、周りでは花粉症がひどくて…という声が多く聞かれる中、Nさんは今まで飲んでいた病院の薬や注射をせずとも、花粉症はほとんど出ておらず、「目がすこしかゆいくらい」と、快適そうに過ごしています。本来ならば3月といったらそれは大変なんですと喜びの笑みを浮かべていました。
当初見られた食後の胃もたれや、おなかの張りも少しずつ減ってきておりますが、腸内環境が改善されたことによって胃腸の働きが活発になってきたのでしょう。現在もさらなる体質改善のため治療に通っていらっしゃいます。
(10) 潰瘍性大腸炎を克服(M・Nさん 女性)
2年前、私は潰瘍性大腸炎と診断されました。もともと10代の頃から体が冷えやすく、冷たい食べ物や飲み物を取りすぎたときは、決まってお腹がゆるくなる体質だったのですが、3年前、妊娠と同時に原因不明の下痢が1ヶ月続き、その後しばらくよくなったかと思うとまた下痢が続くという、そんな状態が始まりました。
当然体もだるく、いつも何かを引きずっているような気持ちだったと思います。出産後も同じでしたが、育児の忙しさから、しばらくしたら治るだろうと思っていました。それが2年前、便に血が混じるようになり、さらに調子が悪く、良くなる気配も一向にないので病院で検査をしてもらったところ、潰瘍性大腸炎と診断されたのです。
当初は病院からもらった薬を飲むとすぐに症状は無くなり、すっかり治ったのでは?と勘違いをしてしまうほどでした。今振り返ってみますと、その勘違いがまた間違った食生活へ戻らせ、再び症状がひどくなり、さらに薬を増やされるという生活のパターンを一年間ほど続けるというハメになってしまったのだと思います。
そしてついに薬を飲んでも効かないという状態になってしまいました。所詮、薬はただ炎症を抑えていただけで、根本的には全く治っていなかったのです。「これ以上ひどくなると、手術をして大腸を切除しなければいけなくなる・・・」そんな病院の先生の言葉が頭を過ぎました。
副作用の強い薬をずっと飲み続けるなんて絶対にイヤ。入院も手術もイヤ。薬を飲まずに治したい・・・。そう思い始めた頃、主人の上司の方が、西洋医学で治らない病気なら一度診てもらうといいのでは?と、赤ひげ堂を紹介して下さったのです。
赤ひげ堂では、鍼、陰指圧、気功マッサージ、お灸等により治療をしていただきさらにサプリメント(機能性栄養補助食品)の必要性の話を聞き、サプリメントの摂取と同時に、日頃の食生活がいかに体にとって悪い作用をもたらしていたかなど、正しい食生活、生活習慣についても細かく教えてくださいました。また自宅で腸内洗浄も並行して行ったのです。
徹底した食事制限と治療を続け、治療開始から3ヵ月後、なんとずっと続いていた出血が止まったのです。時間はかかりましたが、薬を飲まないで出血を止めることができた喜びはとても大きかったです。そして今、5ヶ月が経ちましたが潰瘍性大腸炎の症状は一度も出ていません。病院では、治らない病気なのでずっと付き合っていくしかないと言われましたが、そんなことはありません。潰瘍性大腸炎は治る病気です。以前、ストレスを抱えると症状がひどくなることが多かったので、自分はストレスに弱い体質だと意識していました。でも、そんな弱い気持ちがますます病気を悪化させていたのかもしれません。病気に負けないと強く思う気持ちが、病気を治療していくにあたりとても大切であることを赤ひげ堂で教えていただきました。
治療当初は、体も精神面もとても辛かったのですが、赤ひげ堂の先生方には「絶対に良くなる」という自信をもらい、精神面でいつも支えていただいたからこそ、今まで治療を続けることができ、ここまで良くなることができたと思っています。健康であることがいかに素晴らしいことであるかを知った今、自分の体からの声に耳を傾けながら、これからも健康を維持していきたいと思っています。
(11) ガン手術後の不安を克服(T・Kさん 女性)
私は平成12年の夏、脇腹の痛みに耐えかねて検査を受けたところ、卵巣腫瘍とわかり、即手術を受けました。手術は8時間ほどかかり、卵巣、子宮全摘出。骨盤内及び傍大動脈リンパ節と大網膜を切除しました。
入院して初めて知ったガン治療のこと、手術が終わっても放射線か抗ガン剤治療があるため入院が長引くこと、そしてその治療には強い副作用が伴い、命さえ落とすことがあるということ・・・。このつらい治療を我慢して、家族のもとに一日も早く帰りたいと願う患者たちの呻きにも似た声を聞きながら、「私は絶対にイヤだ、他に違う方法はないかしら」と病院のベッドの中で一人思い悩み模索していました。
何とか助かりたいという一心で情報を集め、「ガンの患者学研究所」のセミナーに申し込み、仮退院中に参加しました。そこで現在の大学病院で行われている三大療法(手術、放射線、抗ガン剤)の他に、食事療法と漢方療法などの代替療法があることを知りました。私はその2日後、抗ガン剤の治療をきっぱりと断りさっさと退院しました。もう二度とこの病棟に来ることはないと固く決意して・・・。
退院はしたものの手術によって体力も免疫も落ち、体が冷えて背中が強ばり、傷も痛みます。腸の具合もおかしい・・・。病院から出された大量の薬を眺めながら、気持ちの奥深くに潜んでいる不安が頭をもたげてきます。「もし抗ガン剤を使わなければ、再発するかもしれない」という病院の先生の言葉が思い出され、眠れない日々が続きました。「赤ひげ堂」を紹介されたのはそんな時でした。
初回の治療で、院長先生は私の脈をみながら、「あなたは一見とても元気そうに見えますが何か大きな病気をしたのでしょう?心臓も腎臓も普通の人の機能の半分ですよ」と言われたので、私はまだ手術のことも何も言っていないのにとても驚きました。「食事療法をきちんとやって治療していけば必ず良くなる」という院長先生の厳しい中にもやさしい人柄が伝わり、ここできっと良くなるという確信が持てました。紹介してくれた方が、赤ひげ堂は体と心の疲れを取ってくれる駆け込み寺のような所と言っていたのですが、わかる気がしました。
担当の先生から食事のことや、気持ちのあり方などいろいろと指導や相談にのっていただき、治療をしてゆくたびに体は回復していきました。食事には細心の注意をして肉、牛乳は勿論のこと、大好きだった卵もやめて、1年がたった現在では、肉を見ると気持ち悪くさえ感じるのは不思議に思います。
赤ひげ堂に通って体が軽くなったと同時に心も軽やかになってきたことに気づいています。食べ過ぎれば背中が張ってくるし調子が良いからと外出が続けば足がむくむ。早く気づくようになった分、軌道修正もできるようになってきました。定期的に通っている大学病院の検査でも、数値は良好で手術から1年の検査では再発・転移も認められず、腫瘍マーカーも測定不可能というくらい良い数値で、病院の先生も大変驚いています。
手術によってガンという固まりは取り除けても、手術によって臓器やリンパを失い、後遺症に悩む人の何と多いことでしょう。残念ながら病院ではそのケアは望めないのです・・・。
赤ひげ堂の先生は本当に親身になって治療をしてくださるので絶対の信頼と感謝をしています。なにより家路に着くときは心と体がぽかぽかと暖かくなっているのがうれしいですね。
(12) 「気づき」によって骨髄異型性症候群を完全克服
(E・Gさん 女性)
痩せ型でいかにも血の薄そうな青白い顔色をしたこの方は、『骨髄異型性症候群』『不応性血小板減少症』という、血小板・白血球・ヘモグロビンが少なくなるという病気で来院されました。
来院された時点でのこれらの数値は、正常値の半分しかなく、いつもめまいがして疲れやすく、頭がしびれてボーッとしているのに病院ではなすすべがなく、このままでは骨髄移植しか方法がないといわれ,途方にくれていたというわけです。
手術を迫られ、何とか手術だけは避けたい、という本人の切なる希望で治療を始めることになったのです。
その代わり、私の言うことに対して耳を傾けて欲しいという旨を伝え,まずは私の著書(「気づき」の叫び)を読むこと,その感想を治療の度に私に伝えること、わからない点は質問すること等を約束してもらい、早々に治療が始まったのでした。
”「気づき」の叫び” を読んでいただいたのは、病気というものの正体を知ってもらう為でした。私の説明しております、病気は必要があって生じてくること,生活や心の誤りが病気などの原因となってしまうことなどをより詳しく理解してもらうために必要なのでした。
気を流す通常の治療に加え、食事指導と、サプリメント(機能性栄養補助食品)として田七人参と紅景天を飲み始めてもらいながら、なぜ病気になったかに気づくための宿題をだす・・・そしてそれに答えるというノートを使ってのやり取りが毎週繰り返されるようになりました。
そんな折、「このごろ私は、病気になるべくしてなったということが少し分かり始めた・・・」というようなことを言い始めたのです。すると1ヶ月後の検査結果は、血小板の数値こそ変わらなかったが、白血球とヘモグロビンの数値が正常値に入り、血小板減少性紫斑病に病名が変わったというのです。
そしてさらにその1ヶ月後、「病気になることって素晴らしいんですね。」というようなことに感じ始めたというのです。すごい所に気づきましたね、といったことを話し始めていたところ、この所何かが違うといっていた矢先、今度は血小板の数値もほぼ正常値に入り、当初あった症状も楽になり、見違えるほど元気になって来たことに、本人はまさに奇跡が起き続けていることに感動で胸が一杯だと、涙を流していたのです。
最近来院されないなと思っていたら、先月、知り合いの方を紹介していただき、たずねると本人はとても元気に仕事を頑張っているとのことです。
(13) 全身麻痺かもしくはあと半年間の命と宣告されたが、
「『気づき』の叫び」で頚髄腫瘍が 消失(N・Nさん 女性)
この方は最初近くの接骨院で首の矯正をしたところ、首の痛み、左手のしびれ、右足のしびれがでて、小さなコップすら持てなくなり来院されたのでした。気功マッサージ及び陰指圧と鍼の治療を二回ほど行なうと首の痛みが軽減し、使えなかった左手でコップも持てるようになりましたが、最初の発病に疑問を感じたので一応病院で検査してもらうように勧めたのです。
すると、小脳と頚髄の中に直径3cmの腫瘍が見つかり、「このままでは半年の命、手術をしても首から下は麻痺してしまうでしょう。」と診断されたのです。
本人が涙ながらに言うには、病院からの帰り道、つきそいの妹から「お姉ちゃん頑張れ!って言えない。今までさんざん両親に心配をかけてきて、こうなってもしょうがないと思う。」と突然言われてしまったことにはただ驚いてしまったと・・・私が見るからに本人はとても明るく社交的で、仕事をしても常にリーダー的存在、サルサダンスを本場南米まで行って学んでくる程の行動派でした。さらに話をしていくといつも人のために気を遣い、自分では誰からも好かれている(もちろん家族からも)と思っていたところに、家族の中でも一番やさしくおとなしい妹からの思わぬ言葉にただとまどい、うろたえて何も言葉にならなかったといいます。それはもう大変なショックでしたと・・。
しかしそれが病気を本質から治していく最も深い動機づけをしてくれたとあとで述壊しておりました。治療だけでなく心のアドバイスを受け、赤ひげ堂から出版されている『気づきの理』という本でも述べられていることなのですが、病気になることは良くも悪くもなく、病気からいかに自分の心の醜さに気づいていくかが大切であることが初めてわかったといいます。
Nさんは赤ひげ堂に来られた当初は、そのような話をしても「自分は悪いことは何もしていない」と突っぱねていた感じがありました。それが妹さんからのきつい一言でショックを受け、何がどうなっているのかわからなくなっているところに、赤ひげ堂での心のケアを含めた治療と、自らも『気づきの理』を読み、実は病気がすばらしいことで、ガンになった本当の理由―自分の心の醜さ―を教えてくれたのだということに気づいたのだというわけでした。
そして奇跡は起きました。国内で唯一、Nさんのようなガンを手術したことがある北海道大学付属病院で、3日間検査入院しました。初日のMRIの結果では、「なんで君はこんなに体が動かせるの?」と病院の先生が疑うほどの腫瘍(3cm)が小脳と頚髄に写っていました。3日目は祝日のため、「検査はしましたが、結果は東京の日赤病院に送りますので一週間後にそちらへ行って下さい」ということで帰ってきました。本人は体調もよく、体はどこも悪くないのではと思う程よく動けていたといいます。
そして一週間後、検査結果を聞きに日赤病院へ行くと、なんと前々日まであったはずの腫瘍がなくなっていたというのです。確かに腫瘍のあった所に空洞は空いているのですが、中に腫瘍が入っていないのです。この信じられない出来事には、日赤のドクターを始め本人も周囲もただ驚くばかりでしたと述壊しております。
ガンが消えたといってもガンの体質が変わったわけではないので、その後も継続的に治療し、7ヶ月後には職場に復帰、大好きなサルサダンスも再開したようです。
その後、ダンス仲間の友人のアメリカ人と電撃的な結婚をして、今はアメリカで2人仲良く暮らしているとの便りが赤ひげ堂に送られてきました。もちろん家族全員が祝福する中で…。